1997(平成9)年7月9日 東京新聞 柳朝とその弟子 吉川潮 

 拙著『江戸前の男・春風亭柳朝一代記』が第十六回新田次郎文学賞を受賞した。実在の落語家を主人公にした作品なので、東京の落語家たちが我がことのように喜んでくれた。
 春風亭柳朝は昭和四年に新橋で生まれ、銀座を遊び場にしていた江戸っ子である。威勢がよく、粋で鯔背(いなせ)な落語家であった。愛弟子の春風亭小朝が柳朝に弟子入りしようと思ったきっかけは、柳朝の着物がいつも素敵でかっこよかったからだという。子供の目から見てもわかるほど趣味の良い高座着だった、と小朝が言っていた。柳朝夫人の話では、金に糸目をつけず着物を誂(あつら)え、帯や履物を買い込むため、家の中はいつも火の車だったそうだ。
 柳朝が亡くなって六年たつが、柳朝の長所は五人の弟子に受け継がれている。江戸っ子らしい歯切れの良い口調は一番弟子の一朝に、華のある高座とマスコミ受けするキャラクターは二番弟子の小朝に、達者な落語を演じるのは三番弟子の正朝に、ホラ話と楽屋話の面白さは四番弟子の勢朝に、女性にもてるのは五番弟子の半七に、といった案配である。そして、五人とも高座着の趣味が良い。
 そんな弟子たちが今年の二月上旬、新宿末広亭において「柳朝七回忌追善興行」を十日間にわたって催した。連日ゲストとして、柳朝の弟弟子の林家木久蔵や親しかった古今亭志ん朝、三遊亭金馬らが日替わり出演し、座談コーナーで柳朝の思い出話を語った。
 命日の二月七日は昼間に七回忌法要が執り行われた。身内だけの集まりだったが私も特別に招かれた。法事の後、新橋の料理屋で食事会があって、コース料理の最後に牛飯が出た。牛飯と言えば、柳朝の師匠である八代目林家正蔵(後の彦六)宅で、正月など人が集まる時に必ず作った名物料理である。安価な筋肉(すじにく)を長時間煮込み、葱(ねぎ)をたっぷり入れたものだ。後年は正蔵の落語会で客に出すようになって、私も頂いたことがある。だから、牛飯というと林家正蔵を思い出す。柳朝も大好物だったので、小朝が店に注文したのだ。一流の料理屋で出す牛飯は、いい牛肉を使っているので確かに美味しかったが、正蔵夫人が筋肉を手間暇かけて作った牛飯もまた格別であった。ふと、「食い道楽だった柳朝はどっちが好きかな」と思った。
 その夜、追善興行のトリの高座に上がった一番弟子の一朝は落語を一席終えた後、笛を持ち出した。彼は歌舞伎座で芝居の下座(げざ)として吹くほどの名手である。柳朝は笛の音色が好きだったそうで、酒を飲む時、側に一朝がいるといつも笛を吹かせたという。一朝は、「師匠を偲んで、好きだった笛を吹きますので聞いて下さい」と言って吹き始めた。
 強がっているくせに人一倍寂しがりやだった柳朝が、笛の音色を好んだのもわかるような気がする。曲は威勢のよい「祭り囃子」からもの哀しい音色の「空笛(そらぶえ)」に変わった。これを聞きながら酒を飲んでいる柳朝の姿を思い浮かべたら、なんだか目頭が熱くなってきた。笛の音色は涙腺を刺激するようで、客席のあちこちから鼻をすする音が聞こえた。
 五十三歳で脳梗塞で倒れ、亡くなるまで八年間療養生活したため、晩年は不幸だったように思われているが、それは間違いである。林家正蔵という師匠に恵まれ、おかみさんに恵まれ、弟子たちに恵まれ、死して尚、大勢の人に偲ばれるのだから、柳朝は芸人として幸せ者だと言えよう。そして今回、一代記の小説が文学賞を頂いた。まさに「柳朝、もって瞑すべし」ではないか。(よしかわ・うしお=作家)

 柳朝とその弟子

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