正朝の笑止千万 その1「押しも押されぬ」だと!?

※笑止千万:はなはだ気の毒なこと。また、たいそう笑うべきこと。広辞苑より

 

私は落語家である。噺家とも言う。個人的には噺家の方が好みであるが、世間一般には落語家の方が馴染み深いようだ。私の師匠・春風亭柳朝の、そのまた師匠 である林家正蔵(後の彦六)は、その名刺の肩書きに「噺家(落語家ともいう)」と印刷していた。いかにも正蔵師匠らしい名刺である。江戸っ子の粋と洒落っ 気、そして明治人の一徹と頑固さ、その両方を感じさせる、なんともうれしい名刺ではないか。

噺家は言葉に敏感である。当たり前と言えば当たり前だが、私達噺家は、落語を演じる上で、ひとつひとつの言葉の細かい言い回しにまで、神経を張り巡らしているのだ。作品としての「古典落語」に、ちょっとでも変な言葉を使うわけにはいかないと、常に心がけている。

どうしても最近の「日本語の乱れ」が気になる。「ラ抜き言葉」「サ付き言葉」が「間違った日本語」だと、メディア等でも言われるようになって久しいが、そ の世間一般に広がる侵食の脅威はすさまじいばかりで、一向に衰えるところを知らない。若者や子供ばかりではなく、老人にもこの病いは広く蔓延している。今 となっては「ラ抜き言葉」「サ付き言葉」が「正しい日本語」に収まってしまいそうな勢いである。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。NHKのアナウンサーま でが「次の試合には、出れません」などと平気で言っているのだ。もはや手遅れかもしれない。歌手の「歌わさせていただきます」も同様だ。

この辺は百歩、いや千歩ゆずって「言葉は時代と共に変化するもの」という、範疇に入れても良いかもしれない(本音はいやだけど)。しかし、どうしても許せ ない「変な日本語」というモノは、確かに存在する。黙って見過ごす事はできない。せっかくこのコラムで発言する機会を与えられたのだから、ここぞとばかり に書かせていただきたい。これから「日本語の正義の味方・春風亭正朝」が、今の世の中の間違った日本語を鋭く指弾してゆくつもりである。

第一回目の今回、俎上に上げるのは「押しも押されぬ」である。賢明なる読者諸兄姉は、当然ご存知であろう。これは誤りである。正しくは「押しも押されもせ ぬ」と言わなければならない。ある世界で頂点を極め、確固たる地位を築いた者を形容する言葉である。その地位を獲得したからには、もう他者を押しのけるよ うなセコイ真似はしないし、また誰からも押される事もない、ゆるぎないという意味である。カッコでくくるならば「『押し』も『押され』もせぬ」となる。 「押しも押されぬ」では、まったく意味が通らないじゃないか。こんな変な日本語がまかり通って良い道理があろうはずがない(あれっ、変かな?まっ、いい か)

立派なアナウンサーや、評論家と称する人が、この間違った慣用表現をテレビやラジオで喋っているのである。私は割と粘着質なタチであるから、そんな場面に 遭遇するとすぐに、秘蔵のノートにメモをして記録する。「何年何月何日、何チャンネルの何という番組で、誰々が、こう言った」という具合である。後日、何 かの時に証拠として提出できるように、できるだけ周辺の事実も書き込む。これで、動かぬ証拠となるのだ。ここでそのいくつかと実名を披露しても良いのだ が、私は割と小心なタチでもあるから、それはしない。ワールドワイドに開かれたネットの世界は、誰の目に止まるか分からない。あらぬ所から恨みをかう恐れ も充分あるのである。余計な敵を作る事は避けた方が賢明だ。フフフ、この辺が私の小利口なところでもある。

ただ、「間違った日本語」だけは、これからどんどん取り締まってゆくつもりである。今後私が指弾する言葉は、「付け人」「ごねる」「ゲキを飛ばす」「講談 の宝井さん」と続く予定である。他にもネタは、後から後から湯水のごとくに湧いてくるはずだ。「日本語の正義の味方・春風亭正朝」の戦いは始まったばかり である。

春風亭正朝

| Site Map | Site Policy | Contact Us | © 春風亭正朝 All Rights Reserved.