正朝の笑止千万 その3「ごねた、くたばった」

※笑止千万:はなはだ気の毒なこと。また、たいそう笑うべきこと。広辞苑より

 

前回に引き続き、我が師匠・春風亭柳朝に教わったネタを書く。プロ野球選手の契約更改のニュースなどでよく「ごねる」という言葉を聞く。来期の年俸を思っ たほどに上げてもらえず、契約書に印鑑を押さないで、グズグズと交渉を延ばす行為をさして言う。生前うちの師匠は、この言葉を目や耳にするたびに、よく 言っていたものだ。
「いいか、『ごねる』ってえのはな『死ぬ』って意味なんだ。ここで言う意味だったら『ごてる』でなきゃあ、いけねえんだ。『ごね得(どく)』なんて言うけどな、あれも誰かが勝手に言い出した間違った言葉だ。それも言うなら『ごて得』ってんだ」

つまり師匠が言うにはこういう事である。「ごねる」は「死ぬ」の俗語であり、「わがままを言う、不平不満を言う、素直に言う事を聞かない」という意味の言葉は「ごてる」が正しいのだと。

このセリフは古典落語にも出てくるので、引用しよう。「浮世根問(うきよねどい)」という落語である。ご存知のとおり長屋の熊さんがご隠居さんの所に遊びに来て、色々耳学問を教わるという内容の噺である。

隠居「身分のある方が死んだ時には死ぬとは言わないな。『亡くなった』とか『お隠れになった』なんて言う。また『ご逝去』『ご崩御』『ご他界』なんてぇ言い方もあるな」

熊さん「へえ、難しい事を言うもんだね。じゃ、あっしが死んだら『ご逝去』かい?」

隠居「馬鹿な事を言うな。お前なんぞ死んだら『ごねた、くたばった』だ」


誠にもって、師匠の言うとおりである。今回はこの事について書こうと思った。ところが、前回の原稿の例がある。師匠から聞いた「付き人」と「付け人」の違 いという話だ。あの時は、一応辞書で確認してから書こうと広辞苑を調べたところ、結局は「どっちでもいい」という結論に達してしまったのだった。頭の中 に、テレビのコント番組などで使うSEの♪フニャー、フニャー、フニャー、フニャー、ポヨヨヨーンという音が流れてきた。全身の力が抜けていった。

「なんだよ!師匠の言っていた事は間違いだったのか」

このへんの私の落胆と狼狽は、前回書いたとおりである。

そこで今回も、とりあえず愛用の広辞苑CDロム第4版を開いてみた。次のように書いてある。

ご・てる〓ぐずぐずと文句や不平を言う。ごてつく。ごねる。

ご・ねる〓(「御涅槃(ゴネハン)」を活用させた語かという) 「死ぬ」の俗語。

〓(「こねる」の意からか。また「ごてる」の誤用ともいう) 文句をつける。不平を並べる。つむじを曲げる。

うーむ、今回は微妙なところである。師匠の説は、間違いとは言い切れないようだ。いずれの言葉も第一義としては、師匠の説のとおりだ。

しかしながら「ご・てる」の最後には「〓ごねる」と書いてあるし、「ご・ねる」の二番目の意味として、誤用ともいうと言いながら、「ごてる」と同様の意味が、確かに書いてある。

これは一体どういう事なんだろう。私なりの稚拙な頭で考えてみた。結果、導き出された結論は、広辞苑が指摘するとおり「誤用」である。本当なら(と言うの も変な言い方だが・・)、大昔(いつ頃だよ、って突っ込まないで)は両方とも第一義の意味しかなかったはずだ。つまりは、師匠の言うとおりである。ところ が、時代が下るにつれ「ごねる」が誤用されるようになってきたのだ。「だだをこねる」の「こねる」と混同されたのだろう、と類推する。そうだ、きっとそう だ。そうに違いない。

その結果、市民権を得た「ごねる」の第二義が、広辞苑に載るまでに出世をしてしまったのである。つまりは正しい日本語として認知されたのだ。それをうちの師匠は頑固なまでに認めなかったのだ。「あれは間違っている」と言い続けたのである。

私は師匠の弟子だ。師匠の説をとりたい。広辞苑が間違っているとは言わないし、正しいと認知されてしまった誤用からの転用を、認めないとも言わない。

しかし、言葉を操る事を生業とする私達噺家(落語家ともいう)は、日本の古い言い回しや語法といったものを、大切にしたい。例え「分かりにくい」「難しい」「古臭い」と言われようと、ゆずれない部分はゆずれないのである。

そう言えばこういう場合、最近は「こだわる」という言葉をよく使う。どちらかと言えばいい意味での使い方である。ああ、いやだいやだ。「こだわる」って本来、悪い意味の言葉じゃないの。そうだ、次回は「こだわる」について考えてみよう。

春風亭正朝

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