正朝の笑止千万 その10 「『全然いい』は、いいの?!」

※笑止千万:はなはだ気の毒なこと。また、たいそう笑うべきこと。広辞苑より

更新がすっかり遅れてしまいました。深くお詫びを申し上げます。ただ単にサボっていただけです。言い訳のしようもございません。これからは、マメにどんどん更新いくつもりですので、どうかお許しください。

と「ですます体」はここまで。これから先は「である体」に戻る。余談だが(もっともこのコラム全体が余談だと言われればそのとおりなのだが・・・)、この使い分けについては小学校の頃、作文を書く時に先生にかなり厳しく言われた記憶がある。

つまり、一つの文章の中で「〜です。〜ます」と「〜だ。〜である」を混ぜて使ってはいけない。どちらかに統一すべきだ、という教えである。以来私は、かたくなにこの教えを守ってきたつもりだ。

しかし、この単純な教え、決まりごとは、世間では案外ルーズである。両者が混在する文章を、時々目にする。私が愛読しているサッカーの専門誌などでは、 しばしば登場する。子供の頃からサッカーばっかりやってきて、ロクに文章を書く事もなく、引退して急に「評論家」になった元サッカー選手が原稿を書くのだ から、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが、その辺はちゃんと勉強してもらいたいものである。多くの人に読まれることを前提として書く文章なの だから。また、編集担当の記者も直してあげればいいのに、とも思う。最近読んでいて一番イライラするのが、スポーツH紙でサッカーのコラムを書いている ミュージシャンTの文章だ。文体もそうだが、内容も子供じみている。なぜあんなモノを連載しているのか不思議でしょうがない。

いきなりボヤキになってしまった。気を取り直して、前回のクイズの答えを発表しよう。前回と言っても、よくよく見れば、平成16年11月2日の原稿だった。半年近くも間があいてしまったわけだ。本当に申し訳ない。反省しきり、である。

クイズの問題は≪江戸弁では「四百両」を「ヨンヒャクリョウ」とは言わない。これは「シヒャクリョウ(シシャクリョウと聞こえるかもしれない)」である。では「七百両」はなんと発音するか?≫だった。

今の日本人は、ほとんどの人が「ナナヒャクリョウ」と言うだろう。もちろんこれは不正解である。そんなんじゃ、クイズにならない。

正解は「シッチャクリョウ」である。「シチヒャクリョウ」と思った方!惜しかった。10点満点で5,5点差し上げよう(笑)。

元は「シチヒャク」が、江戸訛りで「シッチャク」と音便の形になったのだろう。しかし、映画やテレビの時代劇でもこんな風に発音する人は、もはや誰もい ない。役者はもちろんの事、脚本家や、監督や、プロデューサーなど、だーれも知らないのだから。こういう読みが残っているのは、もはや落語と歌舞伎の世界 くらいなものか。残念である。

この「シッチャクリョウ」を「正しい日本語だ!」と言い張るつもりは、毛頭ない。いわばこれは「古語」なのであろう。だがしかし、昔の江戸っ子はこういう発音をしていたという事実を知って欲しい、と思うのである。私の愛する落語の世界の言葉だから。

前回の原稿を受けて、ここまで。

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さて、ここからが、今回の本題。世間は相変わらずの「日本語ブーム」である。本屋には、似たようなタイトルの「日本語本」が、山のように積んである。そんな数ある「日本語本」の中で「これだっ!」という本を見つけた。

フラッと入った本屋で「問題な日本語」(北原保雄著:大修館書店)というタイトルに惹かれて、思わず手にとった。パラパラッとページをめくって拾い読み をしただけで、「こいつは素晴らしい」と思った。早速レジに持って行って買い求めた。なにしろ私が日ごろからアタマの隅っこにおいていた小さな疑問符のつ く日本語を、片っ端から見事に解説してくれているのだ。これは嬉しかった。胸のすく思いというのは、この事かもしれない。お勧めの一冊である。

この中から、一つ拾って紹介しよう。それは、「全然」である。

昔から「全然」は否定と呼応して使われたもので、肯定の表現に使うのは間違いだ、という意見が多い。しかし、果たして本当にそうだろうか?というのである。

実は歴史的に見ると、「全然」は江戸時代の後期に中国の白話小説(口語体で書かれた小説)に使われていたものを取り入れたもので、「全く然り」という訓 がそのままあてはまるものだった。従って、明治以降「全然・・・ない」「全然・・・ずに」などの否定の表現とともに(もともとこの表現の方が多いのは確か なのだが)、肯定の表現にも使われていた、とあった。実例として、夏目漱石の「三四郎」、芥川龍之介の「羅生門」の中にも「全然+肯定表現」があることを 指摘している。

これは、目からウロコである。「全然いい」とか「全然おいしい」も、間違いとは言い切れないのだそうだ。知らなかった・・・(恥)

さらに私が感心したのは、用例の考察だ。例えば若者が「全然いい」と言う場合でも、ただ単に「とてもいい」とか「非常にいい」という意味ではない、と筆者は言っている。

どういう事かというと、自分の服装に自信が持てず、気にしている相手に対して「その服、全然似合っているよ」などと言う。この場合は、否定的な状況、あ るいは心配な状況・懸念をくつがえし、まったく問題がないというメッセージ性が含まれているのである。これは「あなたが思っていることとは違って、よく似 合ってますよ」という意味が含まれると言うのだ。「大丈夫?」と心配そうに聞かれて「全然!」と答えるのも同様であると、論じている。

こうした「全然」は、<まったく問題なく>という意味を表するもので、単に程度を強調する<とても>や<非常に>とは明らかに異なるものだ、と結論づけている。

言われてみれば、そのとおりである。「いやあ、おっしゃるとおりです。恐れ入りました」と感服するしかない。

おまけにもう一つ。「こっちの方が全然いい」「さっきより全然よくなった」などの用法は、おそらく「断然」との類似から広がったものだろう、と推察している。これまた、鋭い見方である。あたしゃ、気がつきませんでした。恐れ入りました。

この本を読んだら、一介の噺家が「したり顔」で言葉の問題をエラそうに言うのが、本当に恥ずかしくなった。やはりエライ先生にはかなわない、というのが 実感である。今回、このコラムの更新が遅くなったのも、私の中で「はたしてこんなタイトルの駄文を書いていいものかどうか…」という思いがあったことを、 白状しておく。

でも、まっいいか!と能天気に考えよう。誰かに何か突っ込まれたら、

「すいません、所詮噺家ですから」と笑ってごまかすことにしよう。これからも、思ったこと、感じたことを、ずばずば書いていきたい。

春風亭正朝

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