コラム

その4「ああ文治師匠ご逝去。合掌」

2007.03.01

桂文治師匠がお亡くなりになった。突然の訃報だった。1月31日、長く務められた社団法人落語芸術協会の会長の要職を、翌日の2月1日から桂歌丸師匠に 譲るという、まさに任期満了のその日に旅立たれた。江戸っ子らしい律儀な逝きっぷりである。亡くなる二週間前には、郡山で一席しゃべっていたという。うら やましい死に方とも言える。
ワイドショーなどでも取り上げられたので、葬儀の模様などをごらんになった方も多いだろう。文治師匠につけられた形容は、そのほとんどが「最後の江戸弁 の使い手」「江戸弁が話せる最後の落語家」という類(たぐい)のものだった。私は落語協会に所属しており、師とは協会が違うので、そんなに親しくお話をす る機会はなかったのだが、それでも地方公演やNHKラジオ「真打競演」の公開録音などで、何度かご一緒させていただいた。確かに言葉にうるさい師匠だっ た。その点では、このコラムに度々登場するうちの師匠・柳朝と双璧と言っていいくらいの存在だった。そう言えば、生前うちの師匠は文治師匠の事を「たっ ちゃん」と親しみを込めて呼んでいた。仲良しだった。

言葉に対する見識はそれは素晴らしい師匠であったが、ここではその事についてはあえて触れない。いささか言い尽くされた観もあるし。

私が言いたいのは、ワイドショーなどでコメントをしゃべる「テレビの人達」についてである。貴方はここまで読んできて、文治をどう発音しただろう?唐突だが声に出して読んでみて欲しい。さあ、どうぞ、はいっ、ぶんじ!

もしかして「ぶ」を高く読んだだろうか?「ん」「じ」と順番に下に下がっていく音程で。例えば「文化」とか「進化」と同じように。

それとも、平らに発音したかしら?例えば「分家」とか「分泌」のように。

前者のアクセントは間違いである。「文治」の読み方は平らでなくてはならない。同じ音程で平らに、ぶ・ん・じ、と発音していただきたい。これが正しいアクセントである。

ところが、テレビのレポーターたちの多くが、大威張りでこの頭アクセントの「ぶんじさんが・・・」を繰り返していた。聞いているこちらとしては、背中が かゆくなってくるのである。別に悲しくもないくせに、もっともらしい顔をしやがって「巧みに江戸弁を使いこなしていらして・・・」などとぬかしている。 「あんた、文治師匠の落語を一度でも聴いた事があるのかよ」と、突っ込みを入れてしまった。

しかし日本テレビの徳光さんは、流石だった。レポーターのコメントを受けて、さりげなく「文治さんは・・・」と、正しいアクセントで喋っていた。レポー ターの間違ったアクセントを、あえて指摘したり訂正したりもしない、ごく自然な「なぞり」であった。私はテレビに向かって「徳光さん、えらい」と拍手を 送った。この「さりげなさ」が江戸っ子じゃないか、と嬉しくなった。

すぐにチャンネルを隣に変えた。こちらの局でも文治師匠の報道になった。レポーターは相変わらず頭アクセントの「ぶんじさん・・・」と言っている。「は あーっ、やれやれ」とため息が出る。それを受けたのがこの番組のキャスターだ。徳光さんの見事な受けを見たあとだったので、こちらにも期待をしたのだが、 それは無残にも裏切られた。この人もレポーターと全く同じ頭アクセントの「ぶんじさん・・・」と言っているではないか。今度はテレビに向かって

「おいおい、あんたも『ぶんじ』かよ!」と突っ込みを入れたのだ。こういう人が、師匠の落語なり芸なり、人となりについて、論評めいた事を話してもなんの説得力もない。

「ちぇっ、なんにも知らねえクセしやがって」と、いささか伝法な口調でつぶやいてしまう。 

「あれだけ、言葉にうるさかった文治師匠が、ご自分が亡くなった時に変なアクセントで呼ばれるとは、世の中ってなんて皮肉なんだろう」と、思わずにいられない。

我々噺家は、「なまる」事を最もいやがる。落語は江戸の物だからだ。出てくる登場人物は「江戸っ子」でなくてはならない。噺家の出身地がどこであろう と、それは関係ない。江戸の古典落語を語る者にとっては、落語の中に出てくる人物、熊さんや八っつぁんや小僧の定吉が訛ってちゃ、いけないのだ。

アクセントの問題だけに、テキストでは伝えづらい。ご理解いただけたら幸いである。今回は、ワリとまじめにまとめてみた。末筆ながら、文治師匠のご冥福を心からお祈りいたします。

文治師匠、極楽亭の楽屋でうちの師匠と久し振りに再会して、また喧嘩しないでくださいね。そちらの世界ではうちの師匠の方が断然先輩なんですから、少しは立ててあげてください(笑)。師匠も文治師匠にやさしくしてあげてくださいよ。合掌



春風亭正朝