プロフィール
春風亭 正朝(しゅんぷうてい しょうちょう)
本名
藤原 義和(ふじわら よしかず)
略歴
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昭和28年1月12日山口県防府市生まれ
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昭和47年明治学院大学文学部フランス文学科入学
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昭和50年7月在学中に、5代目春風亭柳朝に入門「正朝」となる
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昭和55年2月正朝のまま二つ目昇進
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昭和60年9月正朝のまま真打ち昇進
昭和50年、明治学院大学文学部フランス文学科4年の時に、5代目春風亭柳朝に入門。55年二つ目昇進。59年に「五夜連続独演会」の定期開催で一気に評価を上げ、二つ目のコンクールを総なめにし、賞取り男の異名をとる。60年9月、先輩10人を抜いて真打に昇進。
古典落語の「匂い」を消す事なく、現代に受ける笑いを取り入れ「今」にアピールする落語を創造したい。ただし、これは単に「現代のギャグ」を放り込むことではない。あくまでも古典落語の世界の中の話である。後輩の若手落語家からも目標とされる中堅真打。 また、熱狂的サッカーフリークであり、落語協会サッカー部(RFCマンダラーズ)を主宰し、自ら監督兼キャプテン兼エースストライカーを務める。サッカー関係の交友も広く、斯界での仕事も精力的にこなしている。
古典落語の「匂い」を消す事なく、現代に受ける笑いを取り入れ「今」にアピールする落語を創造したい。ただし、これは単に「現代のギャグ」を放り込むことではない。あくまでも古典落語の世界の中の話である。後輩の若手落語家からも目標とされる中堅真打。 また、熱狂的サッカーフリークであり、落語協会サッカー部(RFCマンダラーズ)を主宰し、自ら監督兼キャプテン兼エースストライカーを務める。サッカー関係の交友も広く、斯界での仕事も精力的にこなしている。
受賞
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昭和58年国立演芸場花形演芸会銀賞
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昭和59年第13回NHK新人落語コンクール最優秀賞
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昭和59年にっかん飛切り落語会若手落語家奨励賞(年間最優秀賞)
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昭和61年第1回選抜!!若手演芸大賞新真打ちの部大賞
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昭和63年第3回選抜!!若手演芸大賞真打ちの部大賞
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平成 2年国立演芸場花形演芸会金賞
主な活動
- 都内各定席に出演
- 住吉亭春風亭正朝独演会 ティアラこうとう小ホールにて独演会 年3回
- IMA寄席 光が丘IMAホール 毎月一回
- 扇遊正朝二人会 末広亭・毎年12月29日
- 駄文寄席 岩本町うどん駄文にて 偶数月 年6回
- 福島県郡山自動車学校爆笑寄席 年2回
- 福島県石川町お菓子のさかい 「花見寄席」「月見寄席」 年2回
- ふるさとツアー 毎年一回 山口県防府市を中心に山口市、周南市、下関市などで開催
- 九州ツアー ほぼ毎年一回 福岡・内浜落語会 湯布院・落語会など
主な出演番組
- 「真打競演」NHK
- 「ビアホール名人会」TBS
- 「ゴールデンワイドラジオ寄席」TBS
- 「菊正辛口名人会」文化放送
- 「シュート・ザ・ワールド」静岡放送
- 「こんばんは!日清食品です」TBS
- その他「小朝の夜はともだち」TBSで、潜入レポートなど
趣味
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サッカー
山口県立防府高校時代サッカー部所属。1年時インタハイ出場。3年時中国大会準優勝。国体選抜には選ばれず。いまだに心の傷は癒えていない。真打に昇進してしばらく経った頃、三十代半ばにして、それまで眠っていたサッカー魂が目覚める。1990年、落語家仲間に声をかけて落語協会FCマンダラーズを結成。以後、草サッカーにのめり込み、一番多い時は誘われるままに6チームに所属していた。2007年2月、試合中にアキレス腱を断裂したため、以後一年半休眠する。しかし、2008年8月、福島県郡山で現役復帰。見事ゴールを決めて、再起した。元日本代表・木村和司氏とは親友。
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ゴルフ
二つ目になってから始める。ハーフの最高は37、ラウンド最高は80、ただし還暦を過ぎてからアベレージは100叩き。今ではハーフ30台夢の世界。昔はうまかったのになぁ・・・。
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野球
中学時代野球部。一番・サード。俊足好打のリードオフマンだった。その昔、落語家チーム“ダジャレーズ”では、サード&押さえ投手で活躍した。ただし、今は全くやっていない。少年時代から根っからの巨人ファン。「長島茂雄教」の信者。
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相撲
中学時代ちょっとだけ相撲部。この話は、いずれ「正朝物語」で詳しく書く予定。お楽しみに。昔は押尾川(元・大麒麟)部屋、現在は佐渡ヶ嶽(元・琴の若)部屋と親交がある。
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フランス語会話
美しいフランス語の響きを、そばで聞いているのが好き。「趣味は?」と聞かれた時、何番目かに「フランス語会話」と答えるが、「できる」とはひと言も言ってない。あくまでも「聞いている」のが好きなだけ。