コラム

その8 「こだわりの味が鳥肌もの?」

2008.02.14

言葉は生き物である。時代と共にその意味や使われ方が変わってくる。今まさに変化しようとしている言葉が「こだわる」だ。漢字でかくと「拘る」とな る。難しい字だ。書いてみろと言われると、書けない。各パーツはさほど難しくはないのだが、普段あまり付き合いのない字だからである。余談ながら、パソコ ンで文章を書くようになって、最近本当に漢字が書けなくなってきた。これは世間でよく言われる事だが、どうやら事実のようだ。怖いことである。

さて、例によって手元の広辞苑第四版CDロムで調べてみよう。


こだわ・る 〓さわる。さしさわる。さまたげとなる。膝栗毛六「脇指(わきざし)の鍔(つば)が、横腹へ—・つて痛へのだ」

〓気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。「形式に—・る」

〓故障を言い立てる。なんくせをつける。

とある。一番と三番は、古語的というか現在ではあまり使われない用法だ。二番が本来の意味という気がする。同義語として「拘泥する」とあるので、ついでにこれも調べた。

こう‐でい【拘泥】

〓こだわること。小さい事に執着して融通がきかないこと。「勝敗に—・しない」


私が言いたいのはここからである。この説明からも分かるように、昔から使ってきた「こだわる」という言葉には、ネガティブな意味合いが強い。思いっきり平たく言えば「こだわる」のは「悪いこと」なのだ。

使い方の例としては「つまらない事にこだわるな」とか「いつまでもそんな小さな事にこだわってクヨクヨするな」あるいは「勝ち負けだけにこだわるな」などがあげられる。この場合「こだわること」は決して良いことではない。本来そういう意味なのだ。


それが最近変わってきた。特にテレビや雑誌などのマスコミに登場する時、ポジティブな使われ方をするようになった。グルメ番組などで「こだわりの一品」と言えば、皆さんはどのようなモノを想像するだろうか。

「気にしなくてもいいような些細なことに執着して融通がきかない、まずい料理」と思う人はいないだろう。だって、ヨイショ番組なんだもの(笑)。この「こだわる」という言葉のポジティブな使い方に、私は強い違和感を覚える。


同じような変化をしている言葉に「鳥肌が立つ」がある。言わずと知れた、寒さを感じた時などに、肌の表面にブツブツが起きる現象である。これは、本来は激しい嫌悪の感情を表す言葉である。恐怖や悪寒を感じた時の表現だ。


ところが今では、昂揚感や感動した時など、良い意味での興奮状態の時に使うようになった。とんでもない話である。これまた、正反対じゃないか!


今さかんに報道されているアテネオリンピックの日本選手のメダルラッシュを受けて、「日の丸が揚がるのを見て、感動で鳥肌が立った」なんていう具合である。やれやれと思う。冗談じゃないよ、まったく。


では、なぜ私がそんなことにこだわるのか(注:あえて、自分を卑下して悪い意味で使っているのですぞ。お間違えなく・・・)。

それは、元々の意味と反対の意味が市民権を得ると、本来の使い方がまちがっている事になってしまうからだ。


なんでもかんでも「こだわる事が良い事」になっては大変だ。「こだわるな」という本来の意味のアドバイスが「そんなに一生懸命やらないで、いい加減に、適当に手を抜いてやっていいよ」という意味になってしまう。

「藪の中で、いきなり蛇が出てきて鳥肌が立った」と言うと「なんで蛇を見てそんなに感動したの?」と、受け取られかねないのだ。ねっ、そうでしょう。

本来の意味と反対の意味が第一義になってしまっては、日本語は死んでしまう。


「店主こだわりのスープで作ったラーメンは、鳥肌が立つような味」なんてラーメン、死んでも食べたくねえな。

春風亭正朝