前回は文治師匠の名前の読み方、そのアクセントについて書いた。今回はそれに関連してテレビのコメンテーターが使ったあきれた日本語について書く。それは、放送の中で文治師匠の事を、あろうことか「桂さん」と呼んだ、という話である。
普通、噺家を特定する場合は、下の名前を呼ぶものだ。例を上げるまでもないが、小さん師匠とか、円生師匠とか、楽太郎さんとか、木久蔵さんとか、こぶ平 ちゃんとかである。これを家号や亭号で、柳家さん、三遊亭さん、林家さんとは、普通呼ばない。なにしろ同じ家号、亭号を持つ噺家はゴマンといるのだから、 誰の事やらさっぱり分からないではないか。
悔しいから列記してみようか?例えば、三遊亭なら圓生、圓歌、金馬、円楽、楽太郎。柳家には、小さん、小三治、小せん、さん助、権太楼、さん喬、花緑。 古今亭は志ん生、志ん朝、志ん駒、志ん馬。うちの春風亭には柳橋、柳昇、柳朝、一朝、小朝、正朝、勢朝、朝之助、まだまだあるぞ…って、ただ書いてるだけ でこのスペースが終わってしまうくらい、噺家なんて大勢いるのだ。中には、見た事も聞いた事もない名前もたくさんあるだろうけど・・・。
こういうのをなんと言うのだろうか。コモンセンスとでも言うのか。社会の中の約束事とでも言うべきか。噺家を特定する場合は「下の名前を呼ぶ」というのが、決まり事である。「春風亭さん!」と声をかけられても、誰の事か分からないのだから。
歌舞伎役者の場合も同様である。菊五郎さん、勘九郎さん、団十郎さん、玉三郎さんと、(下の)名前を呼んでそれぞれを区別している。尾上さん、中村さん、市川さん、坂東さんとは、言わないだろう。
例えばトークショーをしたとしよう。舞台の上で、司会者が出演者を呼ぶ時は、一般的に苗字を呼ぶのが普通だ。下の名前で呼ぶのは、ある種、慣れ慣れしい 印象を与えるし、また横柄な感じにも映る。ましてや呼ばれる側の人がビッグスターだったり、年長者だったりしたら、なおさらその印象は強くなる。
がしかし、である。そんな場合でも、菊五郎丈の事を「尾上さん!」とか、圓歌師匠の事を「三遊亭さん!」とは、言わないはずだ。あくまでも、「菊五郎さ ん」「圓歌さん」あるいは「圓歌師匠」と、下の名前を呼ぶのが通例である。そう呼んだからといって、決して悪い印象を与えるような事はない。
テレビのニュースでもそうだ。先日、うちの協会の柳家小三治師匠が、文部科学大臣賞芸術選奨という賞をいただいた。大衆芸能部門の大賞だった。同時に歌 手の五木ひろし氏も、同じ賞を授与された。このニュースを報道する時に、アナウンサーは「受賞の喜びを五木さんは次のように語りました」と言った。これは OKだ。続いて「落語家の小三治さんは…」と言った。それを聞いて私は「いいじゃないか。さすがに分かってるな」と、良い気分になる。ここで「柳家さん は…」などと言ったら、ぶち切れて放送局に電話をしただろう。
いや、過去に実際に電話をした事もあるのだ。それはテレビ局ではなく、某新聞社であった。もう何年も前の話だ。「都民版」の中に、講談の宝井琴梅先生が 辻講釈をしているという記事があった。ところが、この記事の文中で「宝井さんは…」「宝井さんが…」のオンパレードである。当然「琴梅さんは…」と書いて もらわなければ困る。私は「これは教えてやらなきゃいかん」と思って、おもむろに電話をかけた。
この記事を書いた記者が電話に出たので、上に書いたような事を、私は懇切丁寧に言って聞かせてやった。ところが、この若い(と思われる)男性の記者は、納 得しないのだ。それどころか「おっしゃる事は分かりますが、『宝井さん』でも間違いではないですよね」などと、ぬかしおって、己の非を認めないのである。 私は、もう頭にきてしまった。思わず大声を上げて怒鳴ってしまった「間違いなんだよ!おめえもわからねえ野郎だな!」
ああ、いやだいやだ。こんな事で怒鳴る自分もいやだ。じゃ、電話しなきゃいいのに、とも思うが、元々黙ってらんない性分(タチ)なのだ。ああ、ストレスがたまる。
読者の方も、私を見かけた時に、くれぐれも「春風亭さん」と言わないでくださいね。「正朝さん」あるいは「しょうちゃん」でもいいですから。女の人に色っぽく「しょうさん」なんて言われたら、最高だな。
春風亭正朝
コラム
その5 「春風亭さん」って呼ばれたら!?
2008.02.14